4年余り前、会社の同期の同窓会をした。その時に、ある方が、勝ち組・負け組をグルーピングを試みていた。その時に別の人が、「人生に勝ち組や負け組なんかないのだ」と主張していた。

私も、その時は、そうだよな、人生は競争ではない、そこに勝ち負けなんてあるはずはないと思った。勝ちがあるだけ負けはある、そんな構図とは違うはずだ。一方、社会の暗いニュースなどを見ると、生存権が危ぶまれる不幸組に相当する人たちも少なくはないかもしれない。適当な言葉ではないとは思うが人生の「負け組」というか「不幸組」は私達が知らないだけでいると思う。

トップクラスの富裕層の勝ち組と、すれすれラインの勝ち組は、確かに所得面で雲泥の差がある。その同窓会の場にいた人たちは、給料も高くて生活に全く困っていない恵まれた人ばかり。私達は得てして、身近な人と比べた相対的な位置で判断してしまいがちだ。彼らは社会的経済的にも豊かであり、議論はその勝ち組の中での相対的な位置での勝ち負けに焦点が当たっていたのだ。その人たち(私を含めて)が日々の暮らしに困難を抱えている人もいるのをどの程度知っているのかはわからない。

 

人生を終わるこの世から去る最後の一瞬で、「私の人生は良かった!」と思えれば勝ち組で、「私なんか生まれてくるのではなかった」と後悔するようならば負け組なのではないかと思う。 そこにおいて経済的優位性は、直接的には関係していないかもしれない。勝ち負けはないが、幸不幸はある。

周りをきょろきょろして勝ち抜く的な発想、すなわち比較する世界観による人生ではなく、嫌われる勇気を持つことだろう。
(70万部以上売れている本の 嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え の中で岸見一郎先生は類したことを言っている)。

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